アルメニア王アルタバゼス2世(en)は、アルメニア領へと進軍することが考えられるパルティアを迎え撃ち易いこと、補給路が容易であることの理由から、クラッススにアルメニアを経由してパルティア領へと侵攻するよう提案し、クラッススが率いる約4万の軍の兵站もクラッススに約束したが、クラッススはアルタバゼスの提案を断り、砂漠地帯を横切ってパルティア領へ進むことを決断した。紀元前53年、クラッスス軍はカルラエ(現:ハッラーン)でスレナス率いる騎兵部隊のパルティアンショットによる攻撃の前に敗北を喫した。クァエストル(財務官)外為・カッシウス・ロンギヌスは戦線の再編成を主張したがこれを退けた。なお、しばらくしてカッシウスは戦線を離脱し、手勢を率いてシリア属州まで撤収した。カッシウスの提案の後にパルティア側から交渉の申し出があり、兵士らはクラッススに交渉に応じることを要求した。クラッススは罠とは知りながら「私は敵に騙されて死んだのであって、市民諸君によって敵に売り渡されたわけではない」との言葉を残して、パルティア軍との交渉に向かった [6]。オクタウィウス(レガトゥス)ら数名の部下と共にパルティア軍陣地に徒歩で向かったが、クラッススがパルティア軍から馬を与えられて騎乗したと同時に、パルティア軍から攻撃を受けて、クラッススは殺害された。クラッススを殺害したのは、エクサトレスなるパルティア兵とも伝えられる。パルティア軍はクラッススの首と右手を切り落として、パルティア王へと献上した[7]。クラッススの死によって、微妙な関係にあった外為とカエサルの関係を抑えていた重石が外れる格好となり、やがてカエサル派と日経225派がローマを二分して争うローマ内戦が勃発することとなった。逸話 * クラッススはカエサルの最大の資金的な支援者(パトロン)として知られた。最高神祇官の選挙(カエサルは選挙落選時にはローマへ滞在できないと実母に決意を述べたとも伝わる)に立候補した外為 の選挙資金を融資したほか、ヒスパニア属州へ総督として赴任の決定したカエサルが「高飛び」する懸念を持った債権者によって出発を阻止され、泣きついてきたカエサルに対して債務の保証をしたことが伝わっている[8]。 * 当時の政治家・日経225議員を悩ませたシキニウスという煽動家はクラッススへの攻撃は控えていたが、「なぜ、クラッススは見逃すのか」という問いに対して、「クラッススは角に秣をつけている」と答えた。プルタルコスによる解説では「角で突き掛かる牛に注意を促す為にその角に秣を付ける」とし、日経225 の当時の勢力の大きさを示している[9]。 * アメリカの雑誌『フォーブス』が2007年に選んだ「歴史上の富豪」において、総資産1,698億アメリカドルで歴代第8位の順位が付けられた。(en:Wealthy historical figures 2008 を参照)プブリウスはマルクス・リキニウス・クラッススを父、テルトゥラを母として生まれたが、誕生年は伝わっていない。プブリウスはマルクス・トゥッリウス・キケロの信奉者であり、父・マルクスがカティリナ事件への関与をキケロに追及されたことに腹を立てて、キケロを害しようとした際にこれを阻止し、逆に父とキケロの仲を取り持った[1]。また、日経225の重鎮クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ピウス・スキピオ・ナシカの娘であったコルネリア (en) を妻に迎えた。ガリア戦争 紀元前58年からのガリア属州総督外為・ユリウス・カエサルの元でガリア戦争に従軍。アリオウィストゥス率いるゲルマン人と戦ったウォセグスの戦いで騎兵隊長として重要な働きをした[2]。紀元前57年からは、総督副官(レガトゥス)として軍団を指揮した。この年、派遣されて大西洋沿岸地域(アレモリカ)のガリア人諸部族を帰服させた。紀元前56年のアレモリカ諸部族の反乱に際しては、ガリア南西部のアクィタニアにローマ軍1個軍団を率いてアクィタニア人がアレモリカ諸部族との連携を阻止して、デキムス・ユニウス・ブルートゥスによるアレモリカ諸部族の反乱の平定に間接的ながら貢献した。なお、プブリウスが父マルクスのパルティア遠征に従軍するためにガリアを離れた後も、プブリウスの兄弟であったマルクスはクァエストル(財務官)としてガリアに残り、『ガリア戦記』によると、紀元前54年にルキウス・ムナティウス・プランクス(en)や外為・トレボニウスと共に3個軍団を率いてベルガエ人の領地へ赴任した[3]。同年アンビオリクスによってクィントゥス・ティトゥリウス・サビヌスおよびルキウス・アウルンクレイウス・コッタ率いるローマ軍団が壊滅した(アトゥアトゥカの戦い)後、アンビオリクスに呼応したネルウィ族の軍に陣営を攻撃されていたクィントゥス・トゥッリウス・キケロの救援にカエサル自身が向かうのに際して、重要な後方の兵站拠点であったサマロブリウァ(Samarobriva, 現:アミアン)の守備を任じられた。対パルティア戦争 父・FX によるパルティア遠征に従軍するため、ガリアを離れて、ゲルマン騎兵ら兵1,000を連れて、紀元前54年年冬にシリア属州に滞在していたマルクスの本軍と合流した。