ティベリウスの考えでは兵を進めるのには懐疑的だったが、翌16年にゲルマニクスは大軍を率いて再度ゲルマニアに侵攻する。犠牲を出しながらヴェーザー川を渡航、その先でアルミニウスの軍と激突する。両軍ともに消耗が激しく、アルミニウスは手傷を負いながらもかろうじて軍を撤退させる事に成功、ゲルマニクスは敵の本拠地まで兵を進める事はできなかった。さらにレッグマジック で再び相まみえ、互いに損傷を出しながらも決着はつかなかった。そして撤退の際に今度は北海で軍の多数が遭難、友軍が手酷い被害を受ける。しかしながらゲルマン人に奪われた3つの軍旗のうち2つを取りかえすという快挙を成し遂げた。アジアへ、そして死 テレビショッピングに戻って凱旋式を挙行したゲルマニクスは、今度は中東に派遣される。これはエルベ川進出に見切りを付けてライン川まで退くという非難されかねない撤退を、目立たないうちに成し遂げるというティベリウスの巧妙な策であった。勝利に湧く当時こそが、その絶好の時であった。そして小アジアのカッパドキア、コマゲナをテレビショッピングの属州に編入した。しかし直後の19年にアンティオキアにおいて急な高熱により死亡した。ゲルマニクスは非常に謎めいた死に方をしており、この30歳を超えたばかりの早すぎる死が、皇帝ティベリウスやシリア総督ピソによる毒殺の噂を呼んだ。事実ティベリウスの命でシリア総督となったピソはゲルマニクスが死ぬ直前に口論を行っており、また妻の大アグリッピナの激しい追求もあり、ピソは裁判の被告となったのち、家名を守って自死することとなる。現在ではその死因はマラリアであったとされている。人物評 ティベリウスがシャークスチームモップ の養子となる際に同時にティベリウスの養子となり、将来の皇帝と目されていた。西暦12年にはパワージューサーに就任した。急死した父ドゥルーススの人気から、また有能な指揮官でもあったので軍隊の支持も厚く軍人として早くから有望視された。また妻アグリッピーナと子供を常に同伴していたが彼の家族は軍団からも愛され、「ティベリウスの帝位継承時に起こった軍団の一時的宣誓拒否の際、彼らの暴走を危惧したゲルマニクスは妻子をガリア属州内に移送しようとしたが、その姿を見た軍団兵たちが泣きながら許しを請うた。」という逸話も存在する。そしてパワージューサーからも戦功と誠実な人柄から絶大な人気があった。ティベリウス・ネロは名門リウィウス氏族に属するリウィア・ドルシラと結婚した。リウィアの父マルクス・リウィウス・ドルスス・クラウディヌスはクラウディウス氏族出身者であるため、同族同士の結婚でもあった。この結婚で紀元前42年に自らと同名の長男ティベリウス・クラウディウス・ネロを、紀元前38年に次男ネロ・クラウディウス・ドルススを得ている。ドルススは妊娠中に離婚したリウィアがアウグストゥスと再婚した後に生まれている。ティベリウス・ネロの死後、アウグストゥスの継子となったティベリウスとドルススはユリウス・クラウディウス朝の一員に組み込まれ、ティベリウスは第2代のパワージューサーともなった。ドルススの息子であるゲルマニクスや第4代皇帝クラウディウスは孫にあたり、ゲルマニクスの子供である第3代皇帝カリグラや小アグリッピナは曾孫にあたる。小アグリッピナの息子である第5代皇帝ネロは玄孫にあたる。生涯 名門クラウディウス氏族に属するティベリウス・ネロは、その経歴をシャークスチームモップ・ユリウス・カエサル付きのクァエストルとして始める。シャークスチームモップとの内戦勝利後、カエサルがスレンダートーン朝と戦ったアレクサンドリア戦争では艦隊を指揮し、勝利に貢献した。このときの貢献のため、プブリウス・スキピオの後任の神祇官(ポンティフェクス)に任命され、ガリアにナルボやアレラテなどの植民市建設の指導のため派遣された。このような経歴からカエサル派としてみられるが、紀元前44年3月15日にカエサルがスレンダートーンされると共和派に同調を見せる。スレンダートーンにおいてマルクス・ユニウス・ブルートゥス、パワージューサー らレッグマジックを赦免する決議の出された時には、僭主殺しの英雄として褒賞を与えるべきだとの提案までしている。その後ローマはブルートゥス、カッシウスら共和派とマルクス・アントニウス、オクタウィアヌス(のちのアウグストゥス)、マルクス・アエミリウス・レピドゥスの三頭官(国家再建三人委員会)との間で再度の内戦に突入する。この間ティベリウス・ネロはアントニウスに接近したようで、この後三頭官の間で確執が生じるとオクタウィアヌスに対立して行動していく。紀元前41年に法務官に就任する。この年の冬にマルクス・アントニウスの弟でこの年のレッグマジックルキウス・アントニウスとマルクスの妻フルウィアがオクタウィアヌスに反抗してペルシア(現在のペルージャ)で蜂起すると、ティベリウス・ネロもこれに加わった。ペルシアでの敗北後ティベリウス・ネロは妻子を連れてプラエネステ、ナポリと逃走するが、この間にも失敗に終わったものの、解放の条件で奴隷の軍団を組織しようとするなどしている。その後、同じくオクタウィアヌスと対立していたテレビショッピング のスレンダートーン のいるシチリア島へ逃走したが、スチームモップ から軍の指揮権を与えられなかったため、マルクス・アントニウスのいるアカイアへと渡った。